
渡辺謙さんが英語学習に本格的に取り組み始めたのは、40代半ばを過ぎてからでした。
それまで日本を代表する俳優として確固たる地位を築いていた彼にとって、英語は決して得意分野ではなく、むしろ「ほとんどゼロに近い状態」からの出発だったと言われています。
それでも彼は、ハリウッド映画への出演という大きな転機を前に、「英語ができないから無理だ」と退くのではなく、「やらなければならない現実」として英語学習に向き合う決断をしました。
ここで重要なのは、英語学習が「趣味」や「教養」ではなく、「仕事として避けて通れない必須条件」になったという点です。
渡辺謙さんにとって英語は、テストで点を取るためのものでも、資格を得るためのものでもありませんでした。
それは、現場で共演者と意思疎通をし、演技を成立させるための“生きた道具”だったのです。
英語学習を支えた「ドラマメソッド」
渡辺謙さんの英語学習を支えた人物として知られているのが、英語指導者でありキャスティングディレクターでもある奈良橋陽子さんです。
彼女が提案したのが、後に「ドラマメソッド」と呼ばれる学習法でした。
ドラマメソッドの特徴は、英語を「言語」としてではなく、「役作りの一部」として学ぶ点にあります。
文法書を一から勉強するのではなく、実際の映画やドラマの台本を使い、役になりきってセリフを繰り返し練習する。
意味を理解し、感情を込め、身体全体で表現する――まさに俳優ならではのアプローチでした。
セリフは単なる文章ではなく、その場の状況、感情、相手との関係性と結びついています。
怒り、喜び、戸惑い、皮肉。
こうした感情と一緒に英語を覚えることで、言葉は「暗記するもの」ではなく、「自然に出てくるもの」へと変わっていきました。
五感を使って身につける英語
ドラマメソッドでは、目で読み、耳で聞き、口で話し、身体で動きながら英語を身につけていきます。
たとえば、驚きのセリフなら実際に驚いた表情をつくり、怒りのシーンでは声のトーンや間の取り方まで意識する。
こうした学習は、机に向かって単語帳を眺めるだけの学習とは、まったく別次元の記憶定着を生みます。
また、英語圏特有の距離感や表現の強さ、沈黙の意味なども、演じる過程で自然と体に入ってきます。
これは文法解説だけでは決して身につかない、非常に実践的な力です。
短期間で「使える英語」へ
こうした方法を続けた結果、渡辺謙さんは英語学習開始からおよそ7〜8か月で、冗談を交えた会話ができるレベルにまで到達したと言われています。
完璧な英語ではなくとも、相手の意図を理解し、自分の感情や考えを伝える力を身につけたのです。
これは、俳優として培ってきた「相手の言葉を受け取り、瞬時に反応する力」と、ドラマメソッドによる英語学習がうまく噛み合った結果だと言えるでしょう。
英語は、年齢や才能だけで決まるものではありません。
必要性、目的、そして自分に合った方法がそろったとき、人は想像以上のスピードで言葉を身につけることができる――
渡辺謙さんの歩みは、その事実を静かに、しかし力強く示しています。

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