無知な状態からプロになるための英語の最短学習法とは?

当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
英語
Marilyn

元会議通訳者です。最初の1,2年は各種の翻訳をしました。同時通訳者としての主な領域は、製造業全般、通信、ITの分野です。これまでに携わった業種は多岐に渡っており,、各国の文化、政治関係、医療関係などもあります。

Marilynをフォローする
Marilyn

元会議通訳者です。最初の1,2年は各種の翻訳をしました。同時通訳者としての主な領域は、製造業全般、通信、ITの分野です。これまでに携わった業種は多岐に渡っており,、各国の文化、政治関係、医療関係などもあります。

Marilynをフォローする

何かの専門家になりたいなら、その分野のトップに聞くっていうのがセオリーですよね?

私は、30歳頃に英語を勉強する!と決心し、いろいろな学習書や参考書を読んだあと、                 多くの先達がそれぞれの学習法を唱えているのを比較して、私がこの人だ!と思ったのは                     松本道弘さんでした(「またかよ!」って言わないでくださいね)

今も相変わらず英語熱は盛んだし、英語を理解し話せる必要性は増してきています。          というか、英語を話せる事は半ば常識になっていて、必要な能力のひとつと言えるほどです。

今日ほど英語が身近になっていないウン十年前にも、英語必然ムードはありましたが、      一般社会、特に地方では、英語を話している場面に立ち会う機会はそうそうありませんでした。                    こんな時、中学生時代から私の心の奥底にあった願望が、むくむくと湧き出てきたのは                     私に自由時間ができたからでしょうか?

私のめちゃくちゃ特殊な学習法

今ほど英語熱が盛んではなかった当時、そして同時通訳者という存在が              ほとんど知られていなかった時に、時代の寵児として登場してきた人が、                            松本道弘さんだったのです。                                  当時はスマホもなかったし、パソコンも各家庭にあるというような状況では                  ありませんでした。                                   通訳をしている状況に遭遇する機会に恵まれなかった(特に地方の人達にとって)                    通訳者の存在は、自分達の生活している環境とはかけ離れた、別世界のそれでした。

私が英語を学習しようとした時に想像していたこと

高校がミッションスクールで、英語(リーダー)の先生がアメリカ人、            これ自体極めて特殊な環境です。                                 私がミッションスクールに入って一番良かったと思うのは、外国人に対する偏見というか、                  経験のなさによる違和感、恐怖心(ちょっと大げさですが)、非日常感がなくなっていた    事だと思うのです。

しかし、私は、あの特殊な授業環境(できたばかりの高校で、先生の調達も上手くいってなかった               のだと思いますが、とんでもない授業を受けさせられて、嫌悪感がどんどんと膨れ上がって、           「もう嫌!」という気持ちがマックスになってしまって、これに伴い、英語嫌いにもなって     いました。

これは私ひとりの話しではありません。あと十数人ほどの生徒達も、私と同じような感情を   学校に対して持っていました。                              因みに、その高校のクラスは約20人、他の日本のクラスの生徒数の半数以下です。        私、(昔の)団塊の世代なんです。                                で、すっかり英語アレルギーになって卒業した私ですが、幼少期から非常に身体が弱く、             一日中、ほぼ本を読んでいた私にとって、一番の楽しみは本の中の世界で遊ぶ事だったのです。

思いっきり自由な大学生活でした

ミッションスクールから自由になった直後、自由な生活を精一杯楽しんでいましたが、           ディスクジョッキーのアルバイトをしたりして、相変わらずの忙しい毎日だけど、        (私は自由だ!)という環境を目いっぱい享受してた大学生活でした。

ド田舎の大学だったのですが、高校とはまるで異なるこの環境で自由気ままに過ごせる             嬉しさを精一杯噛みしめて過ごす事ができた4年間だったようです。

再び興味が英語に向かったのは必然だったのかしら?

自由気まま、別名、遊び惚けていた4年間を終え、学生の頃から始めてたディスクジョッキー              の仕事をそのまま続けていたので、私は、みんなが進む教員にはなりませんでした。            もとより、教員になる選択肢は全くなかったし、、、

その頃は、ディスクジョッキーの仕事が順調に、、というか、仕事の範囲が広がり、         別のラジオ局で司会の仕事、テレビ局で番組に出演、コマーシャルのナレーション、            今から思えば、華やかな世界に入り込んでいました。当時は忙しいだけで、              華やかって気分ではありませんでしたが、、、

 その後結婚してからも、ディスクジョッキーを続けていたのですが、、、

私、自分の好きじゃない事に長く我慢できないんだと思います。 ディスクジョッキーは            収入(この業界ではギャラと言いますが)もかなり良かったし、自ら進んで辞める人は、            私の周りにはいませんでした。ですが私は、何の面白さも楽しさも感じられなかったし、    結婚したんだし、ダンナに食べさせて貰おう!と割に簡単にこの仕事を辞めてしまいました。

そして再び英語の道へ!

この時、私の頭の中にあったのは、英語の本を辞書など引かずにどんどん読み進めたい!でした。                     本を読むのは強烈に好きだったし、日本語以外の言語で読めるようになったらステキ!         という感覚でした。

これ以降の話しは、別の記事でいろいろお伝えしてますので、                ここでは割愛させて頂きますね。

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました