今更ですが、私の前職はフリーアナウンサーでした

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英語、通訳
Marilyn

元会議通訳者です。最初の1,2年は各種の翻訳をしました。同時通訳者としての主な領域は、製造業全般、通信、ITの分野です。これまでに携わった業種は多岐に渡っており,、各国の文化、政治関係、医療関係などもあります。

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元会議通訳者です。最初の1,2年は各種の翻訳をしました。同時通訳者としての主な領域は、製造業全般、通信、ITの分野です。これまでに携わった業種は多岐に渡っており,、各国の文化、政治関係、医療関係などもあります。

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私の前職、フリーアナウンサーと会議通訳者です!ってどんだけ~!

このブログの最初の頃の記事に、(専業主婦から、ほぼ独学で英語を学習し始め、                  その後、会議通訳者になりました、ってな事を書きましたが、                       私、専業主婦になる前は、フリーのアナウンサーでした。しかし、自分の性格上、             どうもあの世界に合わず、楽しくなくて、7、8年経った頃に思い切って辞めてしまいました。

芸能の世界、ホントに合わなかったのです

学生時代のある時、できたばかりのラジオ局が番組のアシスタントを探している、                    との情報が入り、友達2、30人ほどで、一緒に試験を受けに行きました。          それがきっかけでした。                                ま、途中、いろいろな出来事やアクシデントがありましたが、経過を端折って結果を書くと、      私ひとりが合格し、晴れて(と言うべきか?)4時間という長い時間のラジオ局の番組の       アシスタントとして採用されたのです。

私は生まれてこの方、関西エリアに住んでいたので、母国語は関西弁です。               しかし、放送するとなると、関西弁で話すことはできません。                     (大阪なら例外ですが。皆さん、堂々と関西弁(いや、大阪弁)で話していますよね?                   ところが、そのラジオ局は中部地域(名古屋です)、関西弁を堂々と話す事はできないのです。

私は、アシスタントに決まってからほぼ毎日のように、発音の訓練を受けました。       標準語なんて、両親はじめ、私の周囲の誰も話していないし、                全然訛りが治らない私に、周囲は呆れていたようですが、とにかく首にもならず、       本番を迎える事になりました。その番組は4時間という長い番組で、                           どうしたって途中で私の母国語(別名、関西弁)が出てくるのです。

どうして辞めたの?って聞きますか?いつまでも関西弁でしゃべっていられないでしょう?

この番組は3、4年続きましたが、私の記憶では、                         私の訛りを正す周囲の人達の困った顔が浮かぶばかりです。ほかの記憶はありません。                       周りのみんなが呆れる前に、私自身が自分の話す言葉に羞恥心を覚えはじめている事に                     我慢が出来なかったというのが、一番の理由です。                        私としては、7、8年も良く続いた!という気持ちです。芸能界(の端くれですが)            の世界にも余りなじめなかったし、、、

その後、晴れて専業主婦に収まったのでした

待望の専業主婦、(いやフリーターと言うべきか)、毎日ルンルンしていたか?と言うと、                     そうでもなかったのが実情でした。                              暇で暇で、、、私、結構なんやかんやしてるのが性に合っているようなのです。          「めっちゃ暇~!」と毎日愚痴をこぼす私に、「本でも読んだら、、、」とウンザリした顔で           言った夫の言葉に飛びついたのが、始まりでした。

ミッションスクールに入ったら英語話せるようになるんでしょ?

遠い昔を思い起こすに、中学生の頃に進学先を考えていた時、近くの進学校に行かずに、       偏差値では劣る、ちょっと遠いミッションスクールに入る事にしました。                                       しかし、その高校、誰も勉強しない!ほぼ全員が推薦で大学に行く!              これが定番のルートだったのです。                                                 知らなかったのは私だけ?                                そして私と同様、ミーハーの母は、「いいじゃない?あの学校、修学旅行はハワイなんでしょ?      今のうち行っとくのも悪くないと思うわ!」と全面的に賛成!

聴くと見るとでは大違い!のミッションスクール

まず、英語の授業!                                            先生はキリスト教系の大学を出た日本人の先生、主に文法を教えてくださいましたが、                       授業中に質問をすると怒るのです、その先生!                         「私の計画していた所まで進めなくなる!」と言って。                                             (怒られないためには、黙っているしかない。)と生徒達は思っていました。              質問は一切受け付けないのです。                             先生が一方的に進めていくだけの授業、面白いはずありません!

ついでに、数学の時間!「高校の数学ってこんななの?」

数学の先生は、中年の男性の先生だったのですが、生徒達が解けない問題が出ると、                先生が私の席に来て、先生用の指導書を私に見せ、「これ、説明してやりなさい」           で、私は教室の、先生のいる一段高い所に行き、黒板を使って説明する!                              これの繰り返しでした。                                    私、絶望してしまって、中退しようと本気で考え始めていました。                    その頃はもう、英語が好きとか、何も考えることができなくて、学校へ行くのも嫌になり、   ちょくちょくサボるので、母が呼び出される事も多くなっていました。

「学校へ行きなさい!」と言っていた母も、最期は私の味方になりました

その学校は、最近できたばかりの学校で(私達は2期生でした)、呼び出された最初の頃は、   (もう、学校ぐらいちゃんと行ってね?)と言っていたのに、何度も呼び出されて説教を受けていたせいか、                                               母は、「あんまり理不尽な事ばかり聞かされたから、私、(私の娘ですから、この学校に馴染むはずないですよ。)って言ってしまったわ。」と、私に言い、                       こんなわけで、この高校で、私だけが大学に推薦入学しなかった生徒になりました。                    もとより、推薦入学、考えた事もありませんでしたが。

最後に

私の経歴をお話しするつもりが、高校時代の愚痴(高校への不満)になってしまいました。   私は一か所にとどまっていられない性格なのかも知れません。

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